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風景・木の文化・大工たち・想い

風景

風景

桧のお櫃からよそわれたご飯のおいしさ
独楽や剣玉の木で作られたおもちゃのあたたかさ
下駄の軽やかな響き
母親が嫁入りの時に持ってきた桐の箪笥
井戸水で冷やしたすいかを食べた縁側

今では過去のものになりつつあるものたちかもしれません。しかし、このような体験や風景は少し前の日本の生活の中では日常的なものでした。そして、木はこのような生活を形作るうえで貴重な役割を果たしてきました。

木の文化

古く日本の歴史を振り返ってみると生活のさまざまな場面で木との深い関わりがあったことがわかります。
南北に細長い国土は、温暖で雨量も多く、様々な樹種で構成された森が身近にありました。
このような自然環境が、私たちの生活と木を親密に結び付けてきたのかもしれません。
私たち日本人は、木を材料として生活に必要なものを作るときに、その性質を生かし、より美しく、機能的なものとするためにさまざまな工夫をこらしてきました。

木の文化

大工たち

大工たち

たとえば、その1つに建築物に対する大工たちの姿勢があります。
森林資源がたやすく入手できる時代には木は建材として、柱、梁をはじめとして、天井、床、壁などにも用いられてきました。
大工たちは、木を選ぶ、挽く、切る、削る、彫るという行為を通じて木の持つ性質を最大限に引き出し、神社や寺院、家屋など様々な建築を造りました。木材を効率よく加工し、きれいに仕上げるかに心を砕き、技を磨いてきました。大工道具はそのような大工の木に対する愛情を美しく合理的な木造建築という具体的な形にするために作られ、発達してきたともいえるかもしれません。
大工にとって道具はかけがえのない命で、機能に応じた道具を十分にそろえて持っていなければ職人の資格に欠けることとされました。大工道具が最も多様化した明治時代には、一人前の大工がそろえた道具は、部材を測り、墨付けをするための、曲尺や墨壷をはじめとして、鋸・鑿・鉋などの主要な道具はもちろんのこと、道具を保守する砥石、鑢(やすり)までを含めると179点に及んだといわれます。また、腕自慢の大工は競って名声の高い鍛冶屋の手になる道具を求めました。道具鍛冶も大工の情熱に応え、よい道具を作ることで技を磨いてきたのです。

想い

竹中工務店は1610年宮大工として創業し、多くの神社や寺院を手掛けてきました。
そして今、時代は変わり、建築の材料も木材だけでなく様々なものが使われるようになってきています。
ただ、建築にたずさわるものとして建材として優れたものを選び、それぞれの材料の特性を活かし、合理的でしかも美しい建築を創り出そうとする想いは今も変わりはないと私たち竹中工務店は考えています。
使い込まれ、擦り減った大工道具は、それぞれの時代の素材と建築技術の関わりを私たちに教えるとともに、モノ作りに賭ける人々の心意気を伝えてくれるような気がします。

想い