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竹中工務店

島本四郎  SHIMAMOTO Shiro

1890年(明治23) 広島県に生まれる
1914年(大正3) 名古屋高等工業学校を卒業後、竹中工務店入社
1930年(昭和5) 東京支店初代設計部長
1939年(昭和14) 飛行機事故により殉職

惜しまれながら殉職した堅実な指導者

入社当初は大阪設計部に籍を置いて、「藤本ビルブローカー銀行本店(1920年)」などを担当しましたが、関東大震災後、東京支店に移り、その人格と指導力をかわれて1930年に初代の設計部長となります。その後「安藤七宝店(1930年)」などほどよく様式性を残した作品を手掛けますが、1939年3月、中国大陸の出張所に赴いたところ、天津から大連に向かうために搭乗した飛行機が遭難、49歳で殉職しました。1939年5月号の社報に掲載された島本の追悼特集は、当時社長であった竹中藤右衛門の「君資性恭謙其ノ円満ナル人格ト敦厚ナル友情トハ君ヲ知ル者ノ等シク敬慕スル所タリ今ヤ幽明遠ク境ヲ隔ツルニ至リ痛惜極マリナシ」の言葉にはじまり、多くの後輩が島本の人格、才能を惜しむ声を寄せています。

藤本ビル ブローカー銀行本店(現存せず)
1920
大阪市

モダニズムの潮流の中で、神戸時代から東京支店の設計部長に就任前後までの島本は歴史様式を踏まえた作品を手掛けています。

この建物は神戸時代の島本の代表作で、三層構造の堅実な様式美を読み取ることができます。

安藤七宝店(現存せず)
1930
東京都

安藤七宝店は1880年名古屋にて創業、東京店は1890年に開設され、1900年には宮内省御用達となる七宝の老舗です。島本の手による1930年竣工のこの建築は残念ながら1987年に解体され、今は現代的なビルに建て替えられています。

様式美を残しながらも、窓廻りのシンプルさや単窓をつなぐ水平庇など、新しいデザインへの試みが見られます。