Project Story 01

東京ミッドタウン八重洲

東京ミッドタウン八重洲

東京・八重洲を、
多種多様な人が集まるまちに。

東京ミッドタウン八重洲は、東京駅正面に建つ、オフィス・店舗・ホテル・公立小学校・交流施設・バスターミナル・地域エネルギーセンターの用途から成る、都市再生特区制度を活用した超高層複合建築。約35名が集まった設計部門、一日約3,000名の作業員を取りまとめる約250名の施工部門が一大プロジェクトに挑む。

  • 橘 保宏

    橘 保宏 Yasuhiro Tachibana

    • 建築設計(プロジェクトマネージャー)
    • 1990年入社
    • 理工学部 建築学科卒

    設計チームを指揮するプロジェクトマネージャー。建築・構造・設備、それぞれの設計担当との連携を強化するとともに、建築主や作業所、外部デザイナーとの関係を良好に保ちながらプロジェクトを推進した。

  • 栗原 淳

    栗原 淳 Atsushi Kurihara

    • 建築技術(建築施工管理)
    • 2004年入社
    • 建築工学科卒

    入札段階から竣工までの工事計画を担当。建築主・設計者をはじめ計画地周辺のあらゆる関係者と協議・調整しながら工事を計画工程通りに推進。作業所ではコロナ禍において1日に3000人を超える作業員の働く環境も整備・構築した。

  • 川内 賢

    川内 賢 Ken Kawauchi

    • 建築設計
    • 2009年入社
    • 工学府 社会空間システム学専攻修了

    本プロジェクト低層部分に位置する小学校エリアの設計を担当。将来の日本を背負って立つ子どもたちの声が響き渡る施設を実現すべく、さまざまな用途が入り混じる複雑な建物の中で“小学校らしさ”を追求し続けた。

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現地設計室で
チームの一体感を醸成する

プロジェクトマネージャーを務める橘は、2017年の入札段階から本プロジェクトに参画し、2022年の竣工まで設計チームを指揮した。基本設計と実施設計の前半部分に関しては他社が請け負っていたため、それを引き継ぐ形で後半の実施設計と施工時の設計対応を担う。約30万㎡の大規模プロジェクトということもあり、現地設計室が設営され、約35名の設計チームが組織された。建築・構造・設備、それぞれの設計担当との連携を強化するとともに、建築主や作業所、外部デザイナーとの関係を良好に保ちながらプロジェクトを推進していくことが橘の役割だった。
現地設計室が設けられるのは、竹中工務店ではかなりのレアケースだ。ほぼすべての打ち合わせがそこで行われるため、建築主や作業所との意思疎通が円滑になる。建築主に最終的なデザインや素材を決めてもらうためのサンプルや、作業所に設計意図を正確に伝えるためのモックアップ(現物と原寸模型)など、まさに工事を行っている現場だからこそ大きな効果を発揮する数々のツールが用意された。

大規模プロジェクトでは、大人数のチームで設計するゆえに個人の目標が立てにくく、モチベーションが上がりにくい。橘はその対策として、本プロジェクトにおいて各自が実現したい夢や希望を“野望”と称して各メンバーが発表する場を企画した。膨大な設計業務をこなしながら、自身のこだわりを作品にどう反映するのか。一体感を醸成するために、必ずほかの誰かを巻き込むこと、という条件をつけた。メンバーの一人は、もともと陶芸好きということもあり、現場を掘削した際に生じた土で「八重洲焼」と称するタイルをつくり、それを建物外壁に採用するという“野望”を達成した。建築主や作業所、設計室メンバーを巻き込んだこの「野望」は、超高層ビルの足元に皆の想いの詰まった他にない外壁(写真①)を生み出した。

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大規模プロジェクトならではの
苦労を乗り越える

入札段階から竣工まで工事計画を担当したのは、入社20年目を迎える栗原だ。本プロジェクトでは、東京駅から京橋駅、日本橋エリアの地上・地下の歩行者ネットワークを整備し、各エリアのネットワークの起点となる都市計画を実施することになる。また、オフィスや店舗、ホテルに加え公立小学校が入居し、さらには地下街やバスターミナルにも連結する複合施設で、環境面、防災面に配慮する必要があった。栗原は計画地周辺の地権者や行政・インフラ機関をはじめ、ありとあらゆる関係者と協議・調整しながらプロジェクトを推進した。

大規模プロジェクトならではの苦労も多かった。まずは自然との戦いだ。地上約240mの建物を立てる際には雨や風、雷、台風と、地下約30mを掘る際には水や土と真っ向勝負することになる。超高層の建物に対応した昇降式足場付き養生フレームを新たに開発し鉄骨工事中の資材の飛散防止や作業員の安全確保のため、メッシュシートによる養生が行われた。自然災害から完全に免れることはできないので、リスクを最小限に抑えることを心がけた。
また、その規模に比例して作業員の数も増える。作業所には一日あたり約3,000名もの作業員が出入りすることに。折り悪く工事期間中にコロナ禍に見舞われ、従来型の人を介した情報伝達の方法は見直さざるを得なくなり、栗原はそれを機にオンライン会議やSNS等を活用した新たな形の作業所内情報伝達システムを構築した。

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信念を貫き
“小学校らしさ”を表現する

設計部の川内は、本プロジェクトの低層部分に位置する小学校エリアを担当した。敷地内に旧校舎を構えていた公立小学校の建替計画である。区の教育委員会を相手にコスト調整を図りながら、児童の多様な個性を育む場となるよう、さまざまな素材、形態、色調をバランスよくランダムに組み合わせたデザイン表現を展開した。
前述の通り、本プロジェクトは実施設計の途中段階から引き継いだものである。さまざまな用途が入り混じる複雑な建物構成のため、法的要件や性能要件は当然クリアしているものの、川内はどこか物足りなさを感じていた。明確な言葉で言い表すのは難しいが、当初のプランには“小学校らしさ”が欠けていたのだ。彼はその“小学校らしさ”とは何かを常に考えながら設計業務にあたった。

オフィス、商業がはいる建物の性格上、なるべく小学校の要素を表に出さないよう進められていたため、昇降口のあるピロティ空間もビルのデザインコードに合わせたものになっていた。それに対し川内は、歴史ある学校でよく見られるようなレンガ積みの外壁への変更を模索したが、コスト、技術的にも厳しく結果的にそのアイデアは採用には至らなかった。しかしその後も期限ぎりぎりまで根気よく検討、調整を進めた結果、あくまでビルの一部分に過ぎなかった殺風景なデザインは大幅に見直され、ピロティの外壁には敷地内掘削土を焼成したタイル「八重洲焼」が貼られることになった。(写真②)残念ながら、「八重洲焼」自体は川内の“野望”ではない。しかし、もし違和感があったなら、明確な理由と代替案を提示した上で自分の思いをぶつけるべきなのだ。信念を貫けば自ずと結果はついてくると、彼はその経験を通して学んだ。

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プロの仕事を掛け合わせ
シナジー効果を生み出す

2022年8月に竣工した東京ミッドタウン八重洲には、ビジネスマンや買い物客、ホテルの宿泊客、小学校に通う児童など、多種多様な人が訪れ、東京駅前の賑わいを生み出している。
そんな様子を見ながら橘は、ひとりでは太刀打ちできないプロジェクトだったと、改めて思う。設計メンバーはもちろんのこと、社内の関係部門、建築主、設計事務所やデザイナー、協力会社の協力は欠かせない。それぞれがプロの仕事をしつつシナジー効果を生み出すことが、プロジェクトを成功に導くのだと確信した。

施工管理の栗原は、多くの関係者と協議・調整を重ねながら工事を進めたことで、自分自身の視野を大きく広げられたと自信を深め、一方の設計担当の川内は、どんな些細なことにも疑問を持ち、考え続けること、提案し続けることを心に誓う。
すでに次のプロジェクトは始動している。日本のどこかで、世界のどこかで、彼らの思いの詰まった作品がまた誕生することになる。