プロジェクト・ストーリーPROJECT

丸の内パークビルディング 三菱一号館

時代を超えていく受け継がれる作品への情熱
-日本初のオフィスビル復元と最先端オフィスビルの創造-

日本有数のオフィス街である東京・丸の内。ここに明治27年から昭和43年までの間、東京の顔として親しまれた赤煉瓦造りの名建築があった。「三菱一号館」だ。この歴史的建造物を復活させ、なおかつ、都内最大級となる最先端オフィスビル「丸の内パークビルディング」を建築する—。過去と現代の技術の粋を集める一流建築物の協演。それは、時代を超えて、未来へと人の営みを伝え続けるための挑戦でもあった。

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230万個の煉瓦を建築当時と同じ工法で製造し、積み上げる

三菱一号館の復元にあたっては、その価値を継承するために、「可能な限り忠実に復元すること」が求められた。しかし、資料は設計図や保存部材などがわずかに残されているだけ。材料から工法までにいたる大規模な復元は、竹中工務店にとっても初めての経験だった。カギとなるのは煉瓦の工事だ。

使用する煉瓦の数は230万個。担当する田中愛は、全国の重要文化財級の煉瓦造り建造物を調査して回った。求める回答は、日本最高の煉瓦建築の基準、煉瓦の精度・色・強度・積み方・目地の見せ方など、確認項目は多岐にわたる。現代の基準では定められていないそれらの答えを求め、中国へ渡っての生産指導もいとわなかった。組み上げ工事も、何もない空間に縦横に糸を張り、それを目印にして手作業で積むという昔ながらのものを採用。気が遠くなるような工事だ。しかし「名建築をよみがえらせる」という田中の揺るぎない熱意はスタッフたちの心をまとめあげ、1年半での完成へと導いた。

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東京タワー10塔分の鉄骨を高さ180mまで組み立てる

田中が三菱一号館の構造体である煉瓦と格闘していたころ、丸の内パークビルディングを担当する栗原淳は、同じく構造体である鉄骨と向き合っていた。現代の最先端オフィスビルを形作る鉄骨の総量は35,000t。実に東京タワー10塔分だ。
膨大な量の鉄骨を使ってスムーズに工事を行うためには、搬入から組み立てまでの綿密な計画が不可欠だ。そこで栗原は、少しでも多くの鉄骨を効率的に搬入できるよう、クレーンを乗せる「構台」を計画する。これにより、構台の上下で別の搬入を行えるようになった。複数作業の同時進行を実現したこの仕組みは、結果として、180mを半年で組み立てるという快挙をもたらした。

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経験値は客観的データへと昇華され、未来へと受け継がれた

田中は調査を重ねるなかで、煉瓦を組み上げるための最適値は「目地幅7.6mm±1.5mm」という数値を導き出した。また、目地に用いるモルタルも、「40分使い切り」という基準を定め、モルタル運搬用のバケツにはキッチンタイマーをつけ、時間がくると回収した。つねに一定品質のモルタルに交換するためだ。栗原が組み立てた鉄骨のなかには、1本26mという超ロングサイズのものも含まれる。気温によって微妙に寸法が変化し、風によってはクレーンでのつり上げが難しくなる。天候と風をチェックする栗原の日課からは、巨大な鉄骨を正確で安全に扱うためのデータが蓄積されていった。新旧のオフィスビルは、これまでの経験値を、数値という客観的データに昇華する効果をもたらしたのだ。それは、未来へと、揺らぐことなく建物に込めた想いを語り継いでくれる財産だ。丸の内に並び立つ2つの作品。次の世紀につながる技と心が、ここに受け継がれた。

PROJECT MEMBER

メンバー間の連携はどんな建物でも必須

今回のような煉瓦建造物の復元工事は他に事例がなく、基準づくりから始めるなど大変でしたが、職人さんに学ぶことも多く、貴重な体験を得ることができました。私はもともと大学で建築の歴史の研究をしていて、当時の先生や研究室の皆さんにも復元した「三菱一号館」を見ていただき、喜んでもらえました。学生時代から夢に描いていた仕事に携わることができて、本当に会社には感謝しています。

建築施工 田中 愛

品質基準の高さが成長の原動力に

工程ごとに、社内での品質検査が行われます。最も責任を感じる瞬間でしたが、クリアするたび、達成感を味わうことができました。これはどの工事も同じことで、基準を定め、それを満たす技術や工法を考案し、実際に施工するというプロセスの繰り返しが作品を生み出し、自らを成長させてくれています。

建築施工 栗原 淳