DESIGNWORKS Vol.14
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軸線をとり、点景のように建築をつくって、風景を構築したんですよね。農業ゾーンでも人間の手が入っていて、フィレンツェ周辺の葡萄畑も綺麗ですよね。糸杉が並んでいる街道沿いとか、ヴィラにいたる参道とか。1980年代以後、そういうものが再評価されると、街の中の自然も欲しいな、ということになってきたわけですね。都市の中心からスタートして周辺まで目を向けて、また戻ってきたということです。もちろん、ヨーロッパの都市の中に緑が無いわけではありませんが、パリのブローニュの森やウィーンの森は、封建的なお金持ちが持っていたものをパブリックに開放したもので、その位置づけは公園です。でも東京では庭園として、プライベートな財産として受け継がれる場所になっています。例えば東京の5つ星ホテルにはみんな庭がある。フランス大使館の緑も庭園的な緑です。そうなると、江戸や初期の東京はまさに田園都市みたいなものなんですよね。川添登※5さんは、著書の「東京の原風景」の中では東京の北西部、巣鴨・白山・染井などは花園だったと書いています。コンクリートジャングルの東京とは、全く違ったイメージを提示したんですね。原宿や表参道の現代建築を外国人は見にきますけど、彼らには都市のコンテクストから見るともっと面白いよと言っています。図と地というふうによく言いますが、地のほうが重要なんですね。図は変えられますが、地の面白さって簡単には出来ないでしょう。中沢新一※6さんは著書「アースダイバー」のなかで、縄文時代からある地について読み解いていますよね。東京という都市の下敷きにはとても情報が多いし、隠れた次元に歴史の まれてくるのを誘導するとか。高層が建ち得る場所について、専門家や企業や市民が議論できる雰囲気も必要だと思います。例えば東京スカイツリーの周りも、放っておくと高層マンションになっていきますよね。そうするとスタンドアローンで立っている魅力が無くなります。不景気になり、建設活動が活発ではなくなってきた時は、グランドデザインを考えるいい時期だと思うんです。———超高層がスタンドアローンであった時代を経て、これだけ群で建ち始めたから、超高層が生み出した景観の最適化のルールをようやく検証できるようになったのかもしれません。マンハッタンは島という単位でハイライズしたから20世紀の景観になり得た訳ですが東京はそうやって生まれてないですね。陣内 ニューヨークはグリッドのベクトルが決まっていてしっかり軸線が渡っているから、圧倒的な迫力のある景観で、映像でも繰り返し使われている。独特のアイデンティティのある景観が生まれ、生活環境が生まれ、ライフスタイルの中でエンジョイしているっていう、つながりがありますよね。まだ日本の場合は、一人だけ景観を独占して楽しむところがある気はします。———ニューヨークの超高層には、建物をいくつかの段階に分けてセットバックさせる制限がありますが、地上30〜40mの場所を緑化することがブームになって、蝶がやってきてネットワークを作り出したそうです。都市を高層化してそれを群として成り立たせることによって地層が潜んでいるんですよ。だから、なんだか摩訶不思議な気配があるわけですね。僕は東京を説明する上で、そういう全体の仕組みをアピールしていくべきだと思うし、実際にそのような説明を外国人は本当に面白がってくれます。超高層と都市・新しい都市軸の必要性———これまでは、デリケートな文脈を読むことが話題の中心となっていましたが、現代には明らかに断絶しているものとして、超高層があると思います。むしろ湾岸地区に集中して立っている様子を見ると、建物なんだけど一種の地形を構成しつつある。建物の高層部からこれまでの地形を眺め、その地形の中から建物を眺めるという視線の双方向性が生まれつつあって、東京の微地形と超高層との兼ね合いが新しい文脈を作り始めているようにも思います。陣内 新しい切り口が必要な領域ですね。これだけ超高層が立ち始めると、それらが街からどう見られているかっていう問題も考えなきゃいけないわけですよね。日本の場合は容積率、建蔽率だけで誘導していて、高度規制もないので、マーケットの原理で超高層の立つ場所が決まっている。マーケットに任せるままにしても面白い街が出来るという言い方もあるけれど、それぞれの場所の特徴を活かすためには、丁寧な指導をやったほうがいいと思います。例えば神楽坂の文英堂ビルで、新宿区の条例を踏まえたデザインがされていたように、文化性をもったプロジェクトが生湾岸の超高層写真:(株)ミヤガワInterview

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