DESIGNWORKS_Vol46
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Interview04しての役割は、今では自然に受け入れられます。しかし、近代以前の時代、あるいは近代もそうだったのかもしれませんが、情報や資本が一部の社会階層に独占されていた時代では異なりました。そのころは主に、クライアントと建築家の強い個性が結託することで、傑出した建築が生み出されていました。例えば、マンハッタンに屹立するシーグラムビルディングは、シーグラムという建築主とミース・ファン・デル・ローエという建築家の個性によって、敷地の半分もの面積が「プラザ」として開放されました。日本でいうなら、例えば丹下健三さんによる香川県庁舎のピロティ空間も同じですね。ところが現代において、資本はともかく、情報は技術の進化と普及によって社会的に広く共有されるようになりました。その道のプロフェッショナルが情報を盾に威張ることができない時代になったということです。建築の世界でも同じです。そして、情報の共有化はすなわちリスクの共有化でもあります。それは事業者サイドにも大きな変化をもたらし、クライアントが独断的に物事を決めることができなくなりました。あらゆるプロセスをコンプライアンスに基づき明文化し、共有しなければならない時代になりましたよね。そういうわけで、現代では設計者が媒介者に徹して人や場所と対話を重ねるという方法が重要になりました。例えば医者にしても、かつてのように一方的に治療法を決めていくのではなく、患者や医療スタッフと対話をしながら治療する時代になりました。同じように、設計者はクライアントをエンパワーメントする時代になったと言えるでしょう。大阪の建設性と私的公共性 今回は大阪の建築を見学しましたが、建築の地域性についてどのようにお考えでしょうか。倉方 私自身は東京で育ち、今は大阪の大学で教鞭を取っています。大阪に暮らすようになって、この都市は具体的な人の手によって計画され、建設され、都市的アイデンティティを積み上げてきたという事実を実感します。大阪城下を地割した秀吉はもちろん、阪急電鉄などの鉄道会社もそうですね。大阪は地形が平坦であるなど自然環境が希薄で、より人工環境が日常の経験の基盤にあります。誰かがこの街路を構築し、この堀を掘削したのかがはっきりしている。その意味では、ヨーロッパの都市に近いと言えます。梅田ターミナルを構築し、そこに百貨店を建てる。戦災を受けた大阪城を鉄筋コンクリートで再建する。クリスタルタワーが都市景観を一変させる。東京との決定的な違いはそこにあります。もちろん、東京にも辰野金吾による東京駅などの具体的な都市建設はありますが、東京があまりに巨大でカオティックであるため、それらの建設性はあくまで一部しかありません。そのような意味でいえば、東京は実は都市ではないのかもしれません。もちろんどちらが優れているかという話ではありませんが、ともかく大阪には建設性があると言えると思います。 中之島公会堂が民間の寄付で建設されるなど、大阪には民間の力で都市が形成されてきたという歴史もあります。そのような民間が創り出す公共性についてはいかがでしょうか。倉方 そもそも、公共性というのは「私」から生まれるべきものだと考えています。まずは個人や民間が公的なものを整備して、それでも不足する部分について行政が補足するのが本来の姿だということです。日本最大の建築公開イベントであるイケフェス大阪※1が事業として成立しているのも、竹中工務店をはじめ大阪の企業の寄与によるものでしょう。西日本工業大学に勤めていたときに初めて気が付いたのですが、小倉のような地方都市では地主や企業の社長がまだ大きな権限を有しています。先ほどの文脈ではそれは現代的ではないのかもしれませんが、決してマイナスなことではありません。具体的な決定権を持つ人がいるために、彼らが主導をして面白いことを実現できるんです。そのようなところは日本全国にまだまだあります。大阪を含め、これからは地方の方が大きな変化を起こしやすいのではないかと思っています。 倉方先生は、イケフェス大阪にも立ち上げから深く関わられていますよね。そのような地方の近代建築の活用についてはいかがでしょうか。倉方 東京は経済的な条件が強すぎるため、近代建築は完全に保存するか、解体するかの二択しかありません。しかし地方都市だと、一部しか使っていない建物も残しておいたり、建物に異なる用途を与えて再生したりしやすいのです。私は、そこに可能性を感じています。大阪の場合、東京に比肩する経済力があったころの建築的ストックが数多く残っていますから。逆に東京の場合は都心部の近代建築が希少であるため、しっかりとブランディングされて香川県庁舎旧山口萬吉邸写真:ミヤガワ
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