仲 例えば「生きる場」には家族で来る人もいます。家族は琵琶湖で遊んで、ワーカーはワークスペースで働いているのですが、ワークInterview03でした。メーカーが作るべきものは自動車やテレビと決まっていたから、あとはいかに効率的に生産すればよいかを一生懸命考えればよかった。けれども、例えば「人を幸せにする何か」を創るとなると、企業はどうすればよいか分からない。現代とは、そのような不確実な時代なんです。だから、今後われわれが考えるべきは、ひたすらインプットを小さくすることではなく、アウトプットを最大化すること。更に言うなら、インプットが大きくなっても、それ以上のアウトプットを生み出すこと。では、「それ以上のアウトプット」を生み出すためにどうすればよいか。会社の中で同僚と一緒にいるだけでは不十分で、社会や自然と積極的に関わらなければならない。答えがなくてどう解けばよいかも分からないような課題を、みんなで解決しなければいけない。生産性を上げるというのは、そういうことなんです。知人から聞いたエピソードを紹介します。ある小説家が家で働いている。奥さんとふたりで住んでいる。構想段階では、夫は机に向かわず庭いじりしたり居間でゴロゴロしたりするので、奥さんは怒っている。でも実際は頭の中で一生懸命考えていて、いけると思ったら書斎に籠ってカリカリと書き出すので、ようやく奥さんは安心する。けれども思うに、仕事というものはカリカリもゴロゴロも両方が必要なんです。一般的なオフィスはカリカリ空間ばかりで、ゴロゴロ空間がない。ふつうは仕事以外の時間には考えることはありませんが、日常過ごす時にもずっと考え続けているのが本当のプロ。オフィスにいない時間は働いていない時間として評価しない風潮もありますが、その時間に目を向けるこ生きる場写真:東信史 先生の具体的な取組みをご紹介いただけますか。仲 最近、琵琶湖にコワーキングスペースを創設しました。一般にコワーキングスペースとは、執務や打合せスペースを共有しながら仕事を行う場所ですから、基本的には「働く場」ですが、僕のコワーキングスペースは「生きる場」と呼んでいます。これまでの日本社会は効率性を重視してきましたから、働くことと遊ぶことを混ぜてはいけなかった。だから、会社で遊んだら怒られます。けれども、そのことが創造性を阻んでいるならば、その考え方は変えなければいけない。「ワークライフバランス」が最近になって言われるようになったものの、ワークとライフが分断したままで、単にそのバランスをとるだけでは、何かを創造することはできません。僕はむしろ、ワークとライフを混ぜなければならないと考えています。だから「生きる場」では何をやってもいい。仕事はもちろん、遊んでもいい、まちづくりとで、生産性を上げる。例えば建築設計でも、インプットが増えることでこれまでになかった多様なアイデアが出やすくなると思います。インプットが多様化すれば、アウトプットも多様化します。多様なアイデアが求められている今、それはいいことだと思います。他人の課題を自分の課題になぞらえることで答えが得られるという、「アナロジカルリーズニング」なる概念があります。インプットの増大はこの「なぞらえ」をもたらし、アイデアが増大するという意味で、生産性の向上へとつながります。働く場から、生きる場へ生きる場写真:やまざきよしのり そのような場を創出するにあたり、支障になっているものは何でしょうか。活動してもいい、農業や漁業をやってもいい。一般的なコワーキングスペースは、場を共有しているだけでお互い会話するわけではないので、従来の事務所と変わりません。けれども、「生きる場」は執務室がコンパクトで、なおかつ数時間ではなく数日そこで過ごしますから、お互いによくしゃべるんですよ。そのぶん仕事の時間は減り効率は落ちますが、普段なら出会わない人と話す機会が生じることにより、様々な気づきが生まれます。ここは短時間働く場所ではなく、少なくとも一週間は滞在して、その長い期間でお互いに深いクリエイションをする場です。仕事に集中して疲れて行き詰まったときにふと外を見ると、雄大な琵琶湖が目の前に広がっています。それだけでも一瞬にしてリフレッシュできてしまう。最高に気持ちがいい。しかも琵琶湖で水がきれいだから、夏にはちょっと泳いでまた仕事に戻る、なんて日常的にできてしまう、そういう世界です。それは効率が上がるという次元の話ではなく、思考が深まるというべきです。あるいは、田舎なので地域との距離感が密接で、仕事の合間に散歩していると脱穀を手伝わされたりします。当然ながらやるべき仕事はあり、その時間は減りますが、僕はそういう経験がとても気持ちがいいんですよ。ルールではなく、人を信じること
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