DESIGNWORKS_No53
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Interview03竹中大工道具館収蔵庫増築写真:古川泰造デジタルファブリケーションの普及に取り組む秋吉浩気さん※1は、むしろ大工さんの方が新しい技術を自然に使いこなす素養があるのではないかと言います。彼らは時代に応じて道具を変えながら仕事をしてきたので、新しい技術に対しても自由に使い方を発想できる。現在では、木材の形状の自然なばらつきなど、アナログでは難しすぎて単純化して扱わざるを得なかったことが、デジタル技術により複雑なまま扱えるようになってきました。このように、新しい技術を用いて過去に立ち戻ることは、むしろ前進かもしれません。新旧の技術をどのように繋げるのかは新たな、そして難しい問いですが、本号に掲載されている三嶋大社舞殿改修のような伝統建築に関する経験の蓄積がある竹中工務店では、先陣を切って取り組むことができるのではないでしょうか。設計・施工・利用の一体化が生むもの   BIMによって、全ての設計者、施工者、果ては一般の方も同じように建築をつくることができる構法が編み出されることを期待しています。小見山 伝統的な手作業によるものづくりは産業化によって失われてしまったという意見がある一方で、建築史家・批評家のマリオ・カルポなどは、中世のような誰もがものづくりに参加できる仕組みをデジタルテクノロジーが取り戻すと唱えていますね。イギリスでは18世紀の初めごろに建築家と技師とに職能が分かれたとされていますが、材料の使用量を意識するのが技師、そうでないのが三嶋大社舞殿写真:光齋昇馬建築家と扱われたそうです。現代では、そのような区別は違和感がありますよね。そういう意味では、現代は建築家と技師が二分される前の状態に戻っていると言えます。さらに時代が進むと、カルポの言うような中世のつくり方ができるようになるのかもしれません。木造建築を手掛ける建築家の中には、最新の技術を使いこなすことでマスタービルダーとしての役割を取り戻せないかと意識的に活動をしている方もいます。特に木材とBIMを組み合わせると建築家が加工を掌握しやすくなり、設計から施工まで一貫して手掛けることができる。そのための手段として木に着目しているようです。   前述の秋吉浩気さんのように誰もが建築設計・施工に携われる仕組みづくりを目指す方が現れているものの、完全な方策はまだ確立されていません。小見山 やはりまだ途上ではあると思います。私自身の最近の研究では、建築の新しい構成単位は何かという問いを題材にしています。京都大学桂キャンパスに設置した分解可能デザインの実験棟「MK10 Mobility」のように、規格化されたCLTモジュールで多様な建築を構成できないか。あるいはより小さく単位を分解するならCLTや集成材の最小単位は何か、ということになりますが、今のところそれはラミナだと考えています。幅150mm、厚さ30mm程度のラミナさえあれば、それを敷き詰めれば仕上げ材になり、接着積層すれば構造材になります。あらゆる建築のおおもとになれるものは何か、また、建築が役目を終えるとどこまで分解されるべきか、MK10 Mobility CTLモジュールによる分解可能デザイン写真:小見山陽介そのようなことを議論していきたいと考えています。ただ、私の視点は主としてつくり手側にあるので、つくり手と使い手にとって共通の構成単位を考えることが次の課題です。   誰もが建築設計に携わることのできるつくり方が実現されたとして、建築家は設計という権利を手放したがらないのではないかとも思います。小見山非常に難しい問いですが、これを建築設計における思考の拡張の契機と捉えようとする流れともつながるかもしれません。例えば、ワークショップは合意形成したというエクスキューズとして使われることも多いですが、平田晃久さんはワークショップを経ることでしか至れない多義的な建築を目指されています。それを平田さんは「多数的なものに開かれた思考の可能性」と表現されています※2。住宅のような小規模な建築では、施主と建築家でセルフビルドをする事例も見られます。そうすると、愛着が生まれるだけではなく、通常の枠から外れたつくり方を発見できることがあります。これも、自分の能力を拡張するために思考を外部化するという手法だと言えるでしょう。木造は大工の技術と建築家の知恵を呼び出して共に考えやすいつくり方ですが、特に日本では他国にはない可能性があります。それは、日本では木造建築が連綿と建て続けられてきたために、古い技術をたどりやすいことです。イギリスでは400年前に木造建築の技術が途絶えてしまったせいで、それを再現することは非常に難しいと言います。だからこそ伝統と切り離されたCLTが受け入れられるし、

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