Interview03千葉市立打瀬小学校**写真提供:小泉アトリエ小泉 人が集まりにぎわう空間をつくることが単純に是とされなくなってきたのではないでしょうか。リモートワークが推奨され、自立した個人が離れて立っているような社会のあり方に変わっていくように思います。そうすると、建築、あるいは街のあり方も変わっていくでしょう。私の師匠である原広司先生は「離散的な社会モデル」を提唱されましたが、まさにその方向にシフトしてきているように感じます。例えば学校建築では、今は一人一台ずつタブレットを持って、それぞれの進度に合わせて課題に取り組み、先生が個人をサポートしていくといった教え方に変化しつつあります。そうすると、教室の在り方も変化していくでしょう。同じようにオフィスのあり方にも影響が表れていますね。では、何故学校や会社に行かないといけないか、顔を合わせる事の意味は何か、ということが問われるわけです。やはりそこには「暗黙知」のようなものがあるのではないかと思います。要は、人は授業で教わるから学ぶのではなくて、学校で友達と会ったり色々な教材をみたりすることで、知らず知らずのうちに刺激を受けて学んでいる。それが重要であり、だからこそ学校やオフィスといった場は必要とされるのだと思います。コロナ禍以降、建築のあり方は変化するとしても、人々が刺激をあたえ合う場の必要性は変わらず残り続けるでしょう。パブリック空間の仕掛け方 様々な人々が集まる、いきいきとしたパブリック空間をつくる上で重要なことは何でしょうか。吉備中央町立吉備高原小学校*小泉 例えば体育館のように、何でもできる大きな空間を用意すればいいかというと、そこにぽつんと放り込まれたら当惑してしまうと思うんです。だから、行為のきっかけとなるさりげない“仕掛け”があることが大事なのだと思います。しかし逆にそれがあまりにたくさんありすぎると、それぞれの場所での行為を限定してしまいます。その加減が難しいんですね。建築というのはそもそも大掛かりな仕掛けなので、場合によっては建築よりも小さなスケールの家具的な要素の方が行為のきっかけにつながることもあります。逆に言うと、建築空間を小さなものにノックダウンして考える姿勢がとても大切です。設計した「打瀬小学校」では“壁がない学校”として教室をオープンスペースへと開いていくことを提案しました。その点ではうまくいったと思いますが、出来上がったものを今見るとやはり建築の要素が強いと感じます。それに対して自分なりに解決の糸口が見えたのは「吉備高原小学校」でした。建物を支え、水平力を保持するためのRCの壁を立ち上げてその上部に集成材の屋根をかけるという考え方ですが、その壁を離散的に配置して、黒板として使える壁にしました。黒板の壁であるからには、構造として機能するだけではなく、中庭の真ん中にあってもいいわけです。だから構造のために壁を入れるのではなくて、敷地の中に黒板が欲しい所に黒板壁を立て、その黒板壁の間に屋根をかけ渡すという考え方に切り替えていきました。打瀬小学校とは違い、構造と家具や什器がフラットな扱いになり、もっと軽やかに人が動けるような環境が実現できたと思います。象の鼻パーク/象の鼻テラス*不特定多数を受け入れる難しさとそれを超えるための想像力 不特定多数の人に開かれた場をつくる上で、考えられていることをお聞かせください。小泉 『パブリック空間の本』を書いた時、まさにそれが重要な問いでした。特定の利用者をターゲットに設計していると、とても歯切れよく色々な事を決められます。しかし、利用者が不特定多数となった瞬間に価値観の大きく違う人も関与してくることとなり、建築家としてはそれらも引き受けなければいけません。その難しさを私が痛切に感じたのは、横浜市開港150周年事業である「象の鼻パーク/象の鼻テラス」を設計した時でした。建築には大体の場合開館時間があり、その間は管理者がいるものですが、あれは24時間オープンなわけです。我々の想定を大きく超えた使い方をする人もいて、それを全部引き受けないといけない。だからといって堅苦しい場所をつくることは避けたいので、とても悩みました。コンペ段階では、スクリーンパネルという大きな道具立てを用意して、そこにベンチや掲示板などを脱着できるという家具的なエレメントでランドスケープを構成しようとしました。ところが実際設計を進めていくと、シビアな使われ方も想定しないといけないことが徐々にわかってきました。そこで、親近感を感じさせるのはさることながら、シンボリックな意味合いも大事なのではないかと思い、家具的な要素はあえて外し、あくまで照明装置としてスクリーンパネルを位置づける方針に切り替えました。シンボリックといってもスクリーンパネル自体の大きさも身体スケールのものから少しずつ
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