1941年生まれ。1965年東京大学工学部建築学科卒業。1965〜69年菊竹清訓建築設計事務所勤務。1971年アーバンロボット設立。1979年伊東豊雄建築設計事務所に改称。12Interviewコンペティション通過後に市議会で説明したら、ある議員から「木造でつくったら何年もつと思っているんだ」と言われて。「木造住宅とは違います」と言ったら、「20年だぞ」って。20年ってなんのことを言っているのか、その時はわからなかったのですが、よくよく考えたら木造住宅原価償却が20年ということを言っているのだなって。さすがにその議会が終わったら、議長が謝りにきましたが、むちゃくちゃ言われましたね。でも木造で実現してみたら、普段僕らが考えているような“柔らかい建築”になかなかならないのです。グリッドパターンというか、やや硬い建築になってしまいました。建築のあり方には、気をつかいます。 台湾の国家児童未来館、コンペティションで勝ち取られました。竣工は2030年です。伊東 国が発注するコンペティションで、僕はその時まで生きていられるかなと思っているのですが、後で審査員に聞くと、審査は夜中の2時まで激論を交わしたと。そういうことは日本ではちょっと考えられないですね。15人も審査委員がいました。僕たちは台湾のチームと一緒にやったのですが、「伊東は最後までかかわるのか、責任を持ってやってくれるのか」というようなことを何人にも聞かれました。まだ中身が白紙状態の内容がたくさんあるので、具体的になった時に設計が変わってくるのかということを聞いてくる人もいました。日本よりはおおらかな感じですね。日本は最近、点数制じゃないですか。しかも十項目ぐらいにわかれていて、新しいことを提案しにくいですね。まだやったことのないことをやれば、リスクは当然大きくなりますよね。果たしてこれから、日本から新しい建築が生まれるのか、クリエイティブな建築がつくれるのか、ということに対しては、僕はかなり疑問を持っています。やはり僕は、最初にお話ししたように、残された人生で「美しい建築」をつくりたいと思います。そういう建築を生みだせたら、自ずから人の集まる場ができるだろう、と考えています。人に生きる活力を与える日本ならではの建築 「美しい」という定義の中に、「人に生きる活力を与えられる建築」を含んでいると著書にかかれています。どのような建築なのか教えていただけますか。伊東 「おにクル」の使われ方をみていると元気をもらいます。「水戸市民会館」もたくさんの人が来てくれています。2025年の大阪万博で、僕らは大催事場を設計しています。「今時、万博なんて」っていろんな人にも言われたのですが、やってみようと思ったのは、「命輝く未来社会のデザイン」という大きなテーマに対して、“命輝く”とはどういうことだろうと思ったからなのです。大阪万博には、テーマ館が8つあり、福岡伸一さんや落合陽一さんなどのプロデューサーが、それぞれひとつずつテーマを設定しています。でも、生きる力を与えるというのをわかりやすく言うと、岡本太郎さんが太陽の塔をつくった時のようなエネルギーこそが、“命輝く” ということじゃないかなと思うのです。僕も “生命力のある建築”をつくってみたいと思っているのです。テーマ館は技術が先走り、技術の先にある未来社会ということばかりを語っていて、疑問を感じているのです。「人間の生きるための根源的な力を、建築でつくり得るはずだ」と思っています。なんでも技術で解決できると今の日本は考えがちです。2024年元日に、能登半島地震が起こりました。どう復興していくのか関心があります。東日本大震災は今から13年近く前になりますが、あの時はすぐに現地に行ってなにかお手伝いしたいと思ったのですが、今回はあの時より難しそうですね。昔、輪島の朝市を歩いたことがありますし、輪島には漆塗りの綺麗な民家「時国家」がふたつあったのですが、一方が壊れちゃったのです。あまり報道されていませんが、素晴らしい住宅だと思った記憶が残っているのです。そういう近代化の恩恵を被ってない地域がいつもやられてしま(聞き手:関谷和則・鈴晃樹・奥村崇芳・陳小可・吉田直弘・國本暁彦・高橋達夫 ・市川雅也)2024年1月17日 伊東事務所にて伊東豊雄 (いとう とよお)主な作品に「中野本町の家」、「シルバーハット」、「大館樹海ドーム」、「せんだいメディアテーク」、「多摩美術大学図書館 (八王子キャンパス)」、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」、「台中国家歌劇院」(台湾)、近作に「水戸市民会館」、「茨木市文化・子育て複合施設 おにクル」など。現在、「2025年日本国際博覧会大催事場」(大阪)などが進行中。日本建築学会賞、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル、プリツカー建築賞、UIAゴールドメダルなど受賞。東日本大震災後、仮設住宅における住民の憩いの場として提案した「みんなの家」は、16軒完成。2016年の熊本地震ではくまもとアートポリスのコミッショナーとして「みんなの家のある仮設住宅」づくりを進め、100棟以上が整備された。2011年に私塾「伊東建築塾」を設立。これからのまちや建築を考える場として様々な活動を行っている。うのです。本当に残念です。地震がおきても火事にもならない堅牢な建築ができていくことによって、復興されていくかと思うと難しいですね。 “文明”と、“文化” の違いで、日本は “文明”ばかりを明治維新以降ずっと言い続けてきて、未だにそこにすべてをかけようとしているのだけれども、やはり“文化”について考えないといけないと思います。文化芸術プロデューサーの浦久俊彦氏によると「“文明”は土から離れること、“文化”は土に向かうこと」だそうです。岡本太郎さんも「“culture”というのは“cultivate”から来ているのだから、まさしく土とまみれていくことこそが“文化”なんだ」と述べています。「時間をかけて“その土地ならではのモノをつくっていくことが文化”なんだ」と。或る土地に根差した文化は、グローバリズムの社会では、置き去りにされてしまうのかもしれないけれど、いつかは皆、気がつくんじゃないかと思うのです、日本人は。 本日はありがとうございました。
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