04Interviewのは、必ずしもテラスに緑を置くということではなくて、室内にいても自然の中に居るのと同じような印象を持てる建築をつくりたいのです。 伊東先生の作品は架構に対する大変なこだわりのもとつくられている、という印象を持っています。伊東 グリッドで建築空間をつくることは、今までやったことがなかったので、「おにクル」ではグリッドにチャレンジしてみようと最初思っていたのです。しかし、建物内のプランニングを考えていったときに、公園の延長だということが見えてきました。いろいろなプログラムが混在しているのですが、やっぱり壁の少ない建築をつくりたいということを考えはじめた時に、いつものように梁のない建築、即ちボイドスラブにしたいと思いました。かなり設計が進んでいたので見直しが可能か心配でしたが、竹中工務店設計部にも納得いただき、ほっとしました。柱をプレキャストコンクリートにして、現場で柱を確認したとき、すごくきれいでしたね。やはり、竹中工務店の設計施工じゃなかったら実現しなかったでしょうね。とはいえ、相当嫌がられたのではないかと思います。構造体によるところが多いとは思うのですが、僕は建築の大きなところで考えていることが実現できれば、ディテールはあまり気にならない性質なんです。だから、現場にもそんなに足しげく通うタイプでもないし、現場に行っても大きなところがうまくいっているか、ということしか気にならないんです。だから僕の感受性によるのかもしれないですね。施工をされる側からすると、めんどうくさいことだと思うのですが、材料を決めたり、色を決めたりということは、最後の最後まで、現場に行ってみないと決められない、図面では決められないことなんですね。これまでもご迷惑をかけていると思うのですが、細かいことに付き合っていただき、ありがたいです。やはり、設計を大切にされる会社だからそういうことを理解してくださるのでしょうね。いつも竹中工務店と一緒にやりたいと思っているのです。 建築における大きなところを実現する、というのは、その場における建築のあるべき姿ということでしょうか。伊東 大げさに言えば思想そのものですかね。 「せんだいメディアテーク」のチューブ構造のように、伊東先生の作品には印象的な造形があります。「おにクル」においては、そのような造形が背景になっていて、その場所で生み出されている賑わいとか、人びとの姿の比重が高いことが、印象的でした。伊東 それは伊東事務所の中でも議論になっているというか、僕自身もまだよくわかっていない部分なのです。まさしくおっしゃる通りで「せんだい」だったらチューブがあるし、「ぎふ」だったらグローブがあるし、そういう何か自分で発明したっていうと大げさですが、何か他の人がやっていないような“特殊なこと”を発見して、それを構造体にするなり、設備の中心にしたり、そういうことを今までやってきたのに、「おにクル」はそういうものは何もなくて、構造だってそんなに特殊なことをやっているわけではないですよね。「それでいいのだろうか」ってずっと考えて、未だに結論が出ていないです。今年正月、いままでの作品のプランをずっと見比べていたのですが、やはり「水戸」はスケールが大きいというか、「おにクル」の方が馴染みやすいスケールでできているので、そのことと関係があるかもしれないですね。「おにクル」には小さいスケールの部屋がたくさんあって、それがエレベーションをつくっているのです。「水戸市民会館」もそうなのですが、大きなガラス面だったり、「せんだい」にしても「ぎふ」にしてもバッサリ切ってファサードは断面だと言ってたのですが、「おにクル」の場合は小さい部分が飛び出たり引っ込んだりと自由に外側をつくっているので、それは結構安心できるというか、救われたような感じになっていますね。「美しい建築」に人は集まる 最近出された著書『美しい建築に人は集まる』に、五感に訴えかける「美しい空間」をつくることができたら、おのずと人は集まると書かれていました。詳しく教えていただけますか。伊東 最近の若い建築家は、美しいという言葉を使わなくなってしまっているような気がします。「美しい建築に人は集まる」という言葉の中には「建築の美しさ」つまり空間の問題と、人が集まる「コミュニティ」というような社会的な意味を、タイトルに入れているのです。僕の経験からすると、設計の段階でこういうことをデザインすれば人が来るよと言ってもそんなにうまく人は集まってくれない。いい建築というと語弊があるかもしれませんけど、設計で苦労をして、僕なりの言葉でいえばその「美しさ」ということを極めた時に初めて利用する人が共感してくれて、人が集まってくるという、そういう意味をタイトルで言いたかったのです。僕が建築を始めた70年代初めの頃は、住宅設計で篠原一男さんが「住宅は、美しくなければいけない」ということを言っていましたし、近代主義の思想では「機能的なものは美しい」ということがよく言われましたよね。僕らも大学でそう教わりました。それに対して丹下健三さんが、「美しいものが機能的なんだ」と反論をされたりして。機能と美しさということがうまく重なる言葉ではないということを、篠原さんはすごく感じていて、「自分は機能的でないものをつくっている。だから美しさということにこだわるんだ」と抵抗感を持たれていたようです。美しい建築をつくるということは機能に反する、機能を無視してつくるという意味に捉えられているということを、篠原さんはよく言っておられました。僕らも「美しい」という言葉に結構反応していた時代でした。それが最近の人たちはどうして「美しい」という言葉を使わなくなってしまったのかなと思っているので、それで僕はあえて言っているところもあります。今の若い人たちは美しい
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