06Interviewとか美しくないということよりも、コミュニティをつくるということに関心があるのですかね。 「美しさ」というと誰かの主観や恣意性が入ってくるように捉えることもできますが、若い人たちは、恣意性よりも、活動や色々なシーンのような事象に興味があるのではないでしょうか。伊東 僕らの頃は上の世代、篠原さん、丹下さん、磯崎さん、黒川さんとか、そういう人たちのつくるものに結構反応していて、いい意味でも悪い意味でも逆らったり反応していたのですが、今の人達って上の世代のつくるものに対してあまり関係ないよという顔をしているような気がするんです。こちらの悪口も言われないし、褒められもしないので、いつからそうなってしまったのかなと思うのです。竹中工務店設計部は、そういう意味では美しい建築をつくるということにこだわりを持っている、昔からそういう企業ですよね。僕としては、ずいぶんたくさんのプロジェクトを設計から一緒にやっていただきましたし、施工だけやっていただいた作品もありますが、そういう意味でもありがたいと思っています。 伊東事務所の皆さんから、菊竹清訓氏設計「東光園」がいいという話題がでたり、議論をされることはありますか。伊東 菊竹清訓さんは僕の師匠でもあるので、若い連中も他の建築家に比べると少し気にしているようです。彼らには近代主義ということはもう当たり前になっているのではないかと思うのです。僕はやはり近代主義をどうやって超えられるかということにこだわりがあります。そういうことを、あまり若い人は気にしてないような気がしますね。当然だ、みたいなことだろうと思います。最近レクチャーでも話していますが、1970年の大阪万博の時、僕は菊竹事務所を辞めたばかりだったのです。なぜ辞めたかというと、未来都市に憧れて菊竹さんの事務所に行き、丹下健三さんやメタボリストの建築家たちが、未来都市をつくることに期待を持っていたのに、その結果がこんなことだったのかというような、1970年の大阪万博に失望したという経緯がありました。全国からきた人たちが、特にあの頃は地方の人たちがこぞって大阪にやってきましたから、そういう人たちがみんな岡本太郎さんの太陽の塔の前に行って写真を撮って帰っていくということを、どうしてなのかがよくわかっていなかったのです。今になって、2025年に開催される大阪万博に自分が関わるようになると、岡本さんが太陽の塔をつくったのは、やっぱりすごいことだったなあと、感じています。近代主義思想は、明治維新以降続いてずっと日本を覆っているのですが、日本人はみんな “それでは満たされない何か” をお腹の底で持っているのではないかという気がするのです。それで、岡本さんが太陽の塔をつくる前に、沖縄に行って書いた『沖縄文化論』という著書があって、「忘れられた日本」という副題のついたその本を読むとすごくよくわかるのです。日本は近代主義にもう全く覆われていて、それはいたしかたないことなんだけれども、やはり日本人はそれだけじゃないという気持をみんなどこかで持っていて、それをどう顕在化していくかが、建築におけるこれからの課題だと考えています。それを掘り起こしていく試み、日本的というとすぐ数寄屋とかお茶室とかそういう世界になってしまいがちなのですが、そうではなくて、もっと太陽の塔みたいな、 “血がたぎる”ような、そういう日本があるはずで、それを顕在化したいという気持ちがすごくあります。と言いながら、僕もやっぱり近代主義的な建築ばかりつくってきていて、またやっちゃった、ということの繰り返しなのですけれども。2011年3月11日の東日本大震災で被災したまちには、随分僕は通いました。どこのまちに行っても、防潮堤と嵩上げと山を切り崩して高台移転するという、それの一点張りで。それで嫌というほど今の日本は近代主義、つまり「技術によって自然を克服できるという思想」で自然からますます離れていくということを実感しました。東北に通って感じたことと、東京の高層化されていく都市をみると、日本全体に深く近代主義が浸透していることを痛感します。僕は、数寄屋の住宅よりも民家の方が好きなのです。日本の民家は、竪穴式住居から発展してそのままレベルアップして、民家に変わっていったような気がしています。そう考えると民家は、自然界で自然の素材を集めてつくったのだから、自然とひとつになった世界の中にあるのだと思います。数寄屋はそこからもう少し洗練されて、自然から切り離されたところで洗練されていっているように思います。縄文的と言ってしまうとそれまでなのですが、自然をもう一度どのようにして建築に入れていけるのかということを、ずっと考えているのですが、今の日本は近代主義思想に覆われてしまっているので、それを実現するのは大変ですね。「中野本町の家」 伊東先生ご自身の作品でこれは美しいと思っていらっしゃるものはありますか。伊東 「中野本町の家」は、ある意味で一番美しいと思っているのです。「せんだいメディアテーク」の初期模型をみても我ながらよくあんなことをやったなと思っています。今事務所の若いスタッフに、もう一度「せんだい」のコンペティションがあったら同じことを提案できるかと聞くのですが、みんな黙っちゃうんですよね。あんなこと僕自身ももうできなくなっています。歳を重ねるとともにできないことが多くなっているような気もしますね。1960年代に最初の東京オリンピックが行われた時、菊竹さんの事務所に行くということが決まっていたこともあって、山陰地方や瀬戸内海周辺の建築を観にいったことがあります。その頃の建築は、菊竹さんの東光園もそうですし、丹下さんの広島平和記念公園、香川県県庁舎にしろ、きれいだなって思いましたね。ああいう「美しさ」って、今の建築にはあんまりないなという気がします。丹下事務所の神谷宏治さんに、亡くなる一年
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