大阪・関西万博の来場者の休憩所として使用されている「森になる建築」。植物由来の樹脂でできた仮設建築物で、表面には木や草の種子を入れた手すきの紙や日本の伝統和紙が貼られているほか、小さな苗も植えられています。やがて建物は微生物に分解されて土に還り、芽吹いた種子は森をつくっていきます。種子を芽吹かせ、生育させるための課題と工夫について、担当者に話を聞きました。
PROFILE: (株)竹中工務店 技術本部 槌尾 健 2010年入社、2011年から技術研究所、2023年から現職。 *部署名・役職・インタビュー内容は2025年9月現在のものです。
最初は戸惑いしかなかった
どのような経緯で「森になる建築」にかかわることになったのでしょうか。
2023年まで技術研究所で、建物の緑化や造園(ランドスケープ)に関する研究・開発に従事してきました。駐車場や歩道などを芝生で緑化する「ハニカムグリーン®」を商品化したほか、技術研究所にある研究開発フィールド「調の森 SHI-RA-BE®」で草地景観の再生に取り組んでいました。そんなとき、2022年の秋に設計担当者から声がかかりました。
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声がかかったとき、どんなことを思いましたか。
大阪万博にふさわしい斬新かつ挑戦的なアイデアだと思ったと同時に、どう実現すればいいのだろうか…と正直戸惑いました。樹脂でできた建物に植物が根付いているシーンが、どうしてもイメージできなかったのです。季節ごとに状態大きく変わる植物の生育実験には通常数年かかりますが、ナショナルプロジェクトである万博の開幕までたった2年半しかありません。不安はありましたが、自分の専門性が少しでも役に立つならと承諾しました。
大阪・関西万博の会場にふさわしい植物を選ぶ
「森になる建築」に使用する植物はどのように選んだのでしょうか
当初、「森になる建築」は廃棄物を出さない資源循環を目指したものでしたが、私は生物多様性にも配慮することで、より万博にふさわしいプロジェクトになると考えました。
生物多様性の保全という観点では、その土地や付近を流れる川の流域に代々自生し、その地域の環境に適応している植物を使用するのが望ましいとされています。今回は、兵庫県立人と自然の博物館(以下、ひとはく)の橋本佳延先生の助言もあり、大阪湾に流れ込む川沿いから植物を集めることにしました。猪名川沿いの当社研修施設にあり、環境省の自然共生サイトにも認定されている「清和台の森」に自生する、植物の種子や挿し木の材料を集めることにしました。
植物は気候によって、種子をつけなかったり、種子をつけても芽を出さなかったり、なかなか人間の思い通りになりません。熟した種子を収穫できる時期も限られています。何度も現地に足を運び、約50種類の植物を集めることができました。

次から次へと降りかかる難題
技術的にはどんなことが課題だったのでしょうか。
最初のハードルは、「森になる建築」に貼る紙の強度やカビでした。試験体に貼ってみたところ、風で破れたり、雨で溶けたりしてしまったほか、水や肥料のせいでカビだらけになってしまいました。さらに資源循環のコンセプトを実現するためには、建物に使われた樹脂のように生分解性のある(微生物に分解され最終的に土に還る)接着剤を探さなくてはなりません。最初の実験が大失敗に終わったこともあり、不安でいっぱいでした。
途方に暮れていた2024年の春、ひとはくの三橋弘宗先生に相談したところ、耐水性・耐久性・生分解性を満たす接着・コーティング剤を開発していただけることになりました。開幕直前まで材料の最適な配合を試行錯誤し続けるとともに、施工手順を確認しました。最終的に、紙の裏に新開発の接着剤を塗ったうえで建物に貼り付けることで、これらの課題を解決することができました(特許2件出願中)。

次の課題は、水や養分をどのように供給するか。「森になる建築」に種子入りの手漉き紙を貼るだけでは、植物は育ちません。水や養分を吸収する根を張るスペースが必要でした。そこで建物を構成する約60のトラス(部材を三角形に組み合わせた骨組み)に土を入れるしかないと考えました。
しかし、土を入れることは当初の計画になく、建物にかかる荷重が増えるほか、壁の材料である樹脂が水を吸うことで強度が不足する可能性があるなどの懸念が指摘されました。そこで2024年の夏、構造設計者とともに実大のモックアップ(試験体)で強度試験を行い、躯体の温度を35度以下にコントロールできれば、土を入れても問題がないことを確認しました。

次に設備設計者と連携して、温度が35度以上になると自動で水を供給して躯体を冷やすというシステムを開発しました。建物内で休憩する来場者の快適性向上にも一役買っています。
これで「一件落着」だったのでしょうか。
いいえ(笑)。「仕組み」としては目途が立ちましたが、実現にはまだ課題がありました。当初、水は「森になる建築」の上部からホースで供給する計画でしたが、見栄えが悪いほか、施工やメンテナンスを高所で行う必要がありました。さらに、躯体を冷やすための水量のコントロールも難しいことがわかりました。この時点では、せっかくのアイデアも「机上の空論」だったのです。
施工担当者と知恵を絞った結果、「水は上から下に流れるもの」という固定概念を取り払い、建物の下から60のトラスのそれぞれにホースを通して、水を供給することにしました。元栓から遠いと水圧が下がる、土の量が多いトラスでは高い水圧が必要など、60本のホースのそれぞれに取りつけたバルブで微妙な調整を重ねることで、必要な場所に必要な量の水を行き渡らせることに成功しました。
これならいけそうだと思えたのは開幕2か月前でした。何度も心が折れそうになりましたが、挑戦し続けてよかったと心から思いました。

「森になる建築」のいまとこれから
「森になる建築」は現在どのような状況ですか。万博閉幕後はどうなるのでしょうか。
木の苗は根を張り、草の種子も芽吹いています。花が咲いたり、実をつけたりした植物もあり、小鳥や昆虫の姿を見かけることもあります。
万博閉幕後「森になる建築」は、清和台の森に「里帰り」する予定です。建物は数十年で土に還る想定ですが、それまでの間にも生育した植物が成長して種子を付け、それが周辺で次の命を育くんでくれるといいですね。

今回のプロジェクトを通じて、思うことがあれば教えてください。
当社は、脱炭素、資源循環、自然共生という3つの視点で環境に取り組んでいます。今回の取り組みが、多くの来場者に資源循環や自然共生を考えるきっかけになってくれたらうれしいですね。
このプロジェクトが実現したのは、社内外の多くの関係者のサポートのおかげです。困難な課題があっても知恵を結集して「かたち」にしていくという点で、規模は小さいですが当社らしいプロジェクトだったと思います。この場をお借りして、すべての関係者に心より御礼を申し上げます。
今回は技術開発だけでなく、設計から施工、維持管理まで一貫して関わることができました。今回の経験と感謝の気持ちを忘れずに、これからも社会に役立つ環境技術の研究開発に挑戦していきたいと思います。
